ホームから人が落ちました。

 先日、病院から帰る途中、ホームを歩いていたところ、3mくらい前を歩いていた80代の女性がホームに転落しました。
落ち方からして、明らかに意識を失って転落した様子。
すぐに連れの男性と、近くにいた若い男性が線路に飛び降り、女性を引き上げようとしていました。
僕はまず周りを見、非常ボタンを探したんですが見あたらず、ホーム下に避難できるスペースを確認。
連れの男性が女性を抱えようとして転倒したので僕も線路に飛び降り、ホームにいる人に駅員さんを呼ぶように言いました。
若い男性と僕の2人で女性を引き上げ、まずは一息。
すぐに女性は意識を取り戻し、そこへ駅員さんが駆け寄ってきました。
駅員さんにすぐ救急車を呼ぶよう言って、僕はそこに待機。
すぐに駅員さんが担架を運んできて、まずは駅務室に女性を移動。
僕は医師であることを告げて簡単な診察を行いました。
聴診器はありませんでしたが、持っていたペンライトと駅務室にあった血圧計で状態をチェック。
とまぁ、こんな感じで自分なりにできるだけのことはしました。
(救急隊がきてからのことは割愛します。)
ただ。
この間、僕の心を占めていたのはヒロイズムとはほど遠いものでした。
それは、その女性がもしそのあと危険な状態になったら、あるいは亡くなりでもしたら、僕は訴えられて、敗訴するかもしれないという「心配」
医師向けのポータルサイトには連日、医療訴訟のニュースが並びます。
医療行為に刑事責任を問う国はかなり少ないそうですが、日本はその一つです。
しかも裁判の際、裁判所が医師に求める医療レベルはとんでもなく高レベル。
平成7年の最高裁の判決は、異論が一部にあっても、専門的研究者の間で有効と「言われている」ものは実践しなければならないというものだったようです。
つまり、ガイドラインとかに載ってなくても、学会とかで発表されてたら実践しなくちゃいけないってことです。
僕にとって救急医学は専門外ですが、そんなことは裁判では関係ないでしょう。
刑事裁判で敗訴すればどうなるか。
僕は実刑を言い渡され、現在の職を失うばかりか、医師として生きる道も失い、社会的にも「犯罪者」とレッテルを貼られて一生を過ごさなければならないわけです。
今回のケース、自分の保身のみを考えれば、一切無視して通り過ぎるのが間違いなく「正解」なんです。
分かりますか。
自分の信念に従って、電車にひかれて死ぬかもしれないリスクを負い、自分なりにその人の命を守ろうとしても、その行動によって全てを失う可能性があるんです。
馬鹿馬鹿しくないですか。
医療訴訟がこのまま蔓延すれば、間違いなく日本の医療は後退し、大勢の人が死にます。
少なくとも、あなたが道ばたで倒れたときに、医師がそしらぬ顔で通り過ぎる可能性は高くなります。
僕の息子が将来、「医者になりたい」と言ったとき、心から応援できるかどうか、僕には自信がありません。
現在のところ、「医師」という職業は、そんなにいいものではありません。

「ホームから人が落ちました。」への5件のフィードバック

  1. 10年前は、診療内容に対して刑事訴追される事例など、まず考えられんかったそうですよ。
    この国に「業務上過失致死傷」などという世にも希な法律が存在するのは、問題を根本から解決しようと試みる哲学ではなくて、悪者を挙げて憂さ晴らしをしようとする、「いじめ」の心理が有るようにも思う。日本の文化だね。
    でも、同法を焦点とした裁判と補償には、冷静さを失った被害者・遺族の精神的救済の意味もあるらしいので、難しいところですよね。無過失補償は当然と考えて欲しいものだ。
    とりあえず、一刻も早く何とかしなければならないのは、科学に対する法律や公権力の過度の介入と、一般の人々の医療の不確実性への無理解、とりわけ、私の診断の不確実性への無理解ですね。

  2. そうだねー、無過失保証は絶対必要だよね。
    法律や公権力の過度の介入もまずい。
    それと、医療はおしなべて不確実なものだということを、マスコミも伝える義務があると思うんだよね。
    視聴率は取れないかもしれないけど。
    そうでないと、病理医も将来は大変かも……。
    一般の人は病理診断のグレーゾーンなんて絶対意識しないもんね……。(^-^;;

  3. どもども。 最後はツッコむとこだよー と言うハナシはおいといて、
    まー所詮、医療はプラグマティックな要素を多分に含んだ経験学だしね。「悪性」の定義ひとつとったって、こんなに判然としない科学はないでしょ。
    また、日本の医療の将来に対するucky氏の危惧には、まったく同感。医療費も安すぎだし。
    でもね、おかしいおかしいと言っても、もし、多くの人が気付いてるのにそのまま進むのなら、それは、正常・普通であり正義でもある。
    考えの異なる人達に「ファハかてめーは!」などと叫んでいた時代もありましたがー

  4. はは、ツッコむかどうか悩んで、やめちゃった。(^-^;
    一般的の人が思う「正常・普通・正義」って、意外に「真理」とは食い違うことが多いよね。
    特に今は論理的な思考より「イメージ」で判断される時代。
    「正常・普通・正義」は得てして実態のあやふやな「イメージ」と同義だったりするよね。
    その「イメージ」は第4の権力たるマスコミが作るわけで。
    そのマスコミは、自分の作ったイメージが間違っていたとしても、それで社会が間違った方向に進んでしまっても、責任は取らなくていいと。
    言わば言ったもん勝ち、誤診し放題。
    ネットの存在意義の一つは、マスコミに対抗しうる数少ない手段だというところにあるんじゃないかねぇ。
    国循については、また新しいエントリーで。

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