ようやく「あの花」の劇場版を観終えました

昨晩、ようやく「最終回が見られない症候群」から脱して、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の劇場版を観ることができました。
ヒロインの死を何回も何回も連想させるんで、辛い辛い。
でも、止まった時計の針がようやく動いた感じです。
 
日本人のメンタリティは「諸行無常」の「いつか居なくなる、滅びる」という側面の哀愁や美をかなり大事にしていると思いますが、僕自身もそうなのだなぁ、などと思ったりしました。
 
また、「縁起」の思想からすると、自身に大きな影響を与えるものであれば、アニメのキャラクターであろうと「生きている」といって間違いないだろうと思ったり。
 
「諸行無常」のもう一つの側面は、「どんなに辛い状況でも、いつかは好転する」というダイナミズム。
今日からまた一歩一歩、成長していきたいと思います。

秩父に聖地巡礼に行ってきました。

 先日、秩父に聖地巡礼に行ってきました。
僕はわりとちゃんとアニメオタク(少なくともうちのクリニックでは一番)なのですが、聖地巡礼は初めて。
なんで行くことにしたかというと、「あの花」のダメージが抜けきらないから。
たった1クール(全11話)のアニメなのに、とんでもない傷跡を僕の命に刻み付けていったすごいアニメです。
 
 Blu-rayはもちろんゲームも買ったんですが、最終回が近づくと思うと見られなくなるし、遊べなくなるんですよね。
劇場版なんてまだ封を開けることもできてない。
毎週何本もアニメを見ていて、好きなアニメもたくさんあるんですが、モヤモヤした何かがずっと残って辛い。
いわゆる「アニメロス」の症状とも似ていますが、明らかに「あの花」のキャラクターの魅力とストーリーの切なさの影響がかなり大きいので、「アニメロス」とはちょっと違う気もします。
 
 いろいろあって、最近になってちゃんと向き合おうと思い、泣きながら4000系に乗って、聖地巡りをしてきたわけですが、1回の曝露ではむしろ症状が重くなってしまったという印象です。
 
 で、今日になって「あの花」のイベントの動画をチラッと見てみて思ったこと。
やはり僕は「悲しみ切れていない」。
僕が見たのは本放送から何年かしてからの再放送だったので、もう主要なイベントは終わった後だったわけですが、あの花の終わったあと何年かはイベントがたくさんあって、多くの人たちでにぎわっていました。
僕はそういうところに行けていないので、悲しみを多くの人と共有することができなかった。
ちょうどお葬式に行けなかった親しい人と同じ状況です。
他の人と悲しみを共有して悲しみ切らないと、慢性的な悲しみが続いてしまって、立ち直れないことはよくあることのようです。
 
 本当に大好きなアニメであれば、なんとかイベントに参加して、多くの人と悲しみを共有し、悲しみ切ることが、きっとものすごく大事。
 
【蛇足 その1】
「めんまは俺の嫁!」とかそういうのでは全然ありません。
 
【蛇足 その2】
「あの花」は自分のいったい何なのか、この気持ちが何なのか、未だに全然分かりません。
手がかりもつかめていないので、まだまだ時間がかかると思います。
症例としては非常に興味深い気がしますが、当人なので結構辛いです。
この気持ちの正体が分かった時、きっと医者としても人間としても一歩上に上がってる気がします。
しっかり自分の中を見つめたいと思います。
 
【蛇足 その3】
「所詮フィクションなのに」というのは理性的には理解できますが、現実に大きく心が動いているという意味においては「現実」です。
今回のことで、「現実かフィクションか」は些細な問題であるとの結論に至りました。
「アイドル」には一定のフィクション性が必須と考えますが、それと多少似ている部分もあるかもしれません。
なお、僕は芸能人の方を含む多くの方を診察させていただいてきた関係で、3次元の人は基本的に「病気の兆候がないか」といった目で見てしまうため、いわゆるミーハーな目で見ることがほぼできません。
 
【蛇足 その4】
同じことにならないように、生涯現役のアニメファンであることを固く誓いました。
そうじゃないとマジで危険。
命に来るアニメに会った時、イベントのがしちゃう。
 
【蛇足 その5】
将来、来そうな感じがするのは「夏目友人帳」ですね。
連載が終わった時は絶対にイベントに行かないといけない。
みなさんニャンコ先生が大好きですが、僕はニャンコ先生以上に夏目が好きです。(BL的な意味じゃないです。)